2021年7月7日。七夕。

寮に帰ってきたら七夕イベントやってて、くじ引きで当たり引いてハーゲンダッツ貰って、「こんなことで運使ってしまったな~」って思ってて、でも普通に嬉しくて、夜ご飯食べてた。そしたらママから電話来てて、最初気づいてなくて、LINEも入ってて見たら「じいちゃん亡くならした」って。最初ほんとに意味わからんくて。うちの?誰のじいちゃん?って。急すぎて、信じたくなくて。とりあえずかけ直したけど、最初はかからなくて。ママの口から直接聞くまでは信じたくなくて、、そしたら電話かかってきて、本当にじいちゃんのことやった。がんって知ってたし、入院もずっとしてて体調が良くないことも知ってたけど、本当に急すぎて、信じられなくて、、最後にママたちがじいちゃんのお顔見せてくれたんやけど、うちの知ってるじいちゃんより全然痩せてて、初めてこんな弱ってたんだって知った。全然知らなかった。コロナで看病も病院に出入りできんくて、うちが愛知に就職してなかったらもっと会えてたんかなとかいろいろ考えてしまった。近くでそばに居れなかったのが悔しかった。じいちゃんはうちの為に色々してくれたのに、うちは全然返せんやった。それから弔電の話とかやらないといけないこと話して、お花も選んだりとか。電話切ったあと、すぐに弔電送るために急いで調べて、台紙もいろんな種類あって綺麗なのとか洒落てるのがじいちゃんは好きだったから綺麗なお花が書いてあって周りが黒で囲ってあるかっこいいけど綺麗な台紙にした。気に入ってくれると嬉しいな。それから弔電書いてたんやけど、文作るだけで2時間くらいかかって、、最後にじいちゃんに贈る言葉なのかって思ったらずっと泣いてはいたけど、もっと泣けてきて全然書く手が進まんくて、書いてたら思い出も思い出すし、、やっとの思いで書いて、当日読んでくれたみたい。

じいちゃんとの思い出は多すぎて、本当に数え切れないほどあるよね。やっぱり1番印象に強いのはビートの送迎かな、あと試合に見に来てくれたの。水泳してるうちを当時から今でもずっと応援してくれてて最近は泳ぎいけてるのかとか聞いてくれて、多分水泳に関しては誰よりもうちのこと応援してくれてたと思う。本当に1番だと思う。その為にもやっぱり水泳続けないとな。じいちゃんに褒めてもらいたいから。ビートの練習もじいちゃんはいつも見に来てくれてかずのじいちゃんと話してたり色んな人と仲良くなってたよね。他の家族は両親どっちかが迎えに来てくれてたけど、うちはママは仕事でパパもいないことが多かったから、じいちゃんがいつも迎え来てくれてた。多分反抗期の時とか車に乗っても携帯触ってばっかで全然喋らなかったこともあったと思う。それでもいつも迎え来てくれてじいちゃんはいつも変わらなくて、、試合の時も遠くても来てくれて、嬉しかった。試合の帰りに浜勝寄ってご飯食べたり、他にもいろんな美味しいところ連れて行ってもらったよね。一緒に飲んだりしたことも嬉しかったけど、暖家はお気に入りだな、あとローレライ。綺麗なお姉さんがいる所。いつもうちの話してくれてたんよね、あの頃は恥ずかしいってのはあったけど自慢してくれて嬉しかったよ。じいちゃんと行くお店はどこも美味しくて、本当にどこもまた行きたいって思った。どこでもよかった、もう1回じいちゃんと話してご飯食べてってしたかったな。小さい頃だと公園とかいろんなところ連れて行ってくれたよね。最近は一緒にショッピングモール行ってもうちらだけが服見て回るだけで、じいちゃんは近くの椅子で座っとくってずっと座って待っててくれた。一緒にご飯食べたりお出かけできるのが嬉しいからここで待ってるだけでいいって。またさ、愛知も来て欲しかったよ。でも1回でも来てくれて嬉しかった。うちの車乗せれたりとか、トヨタ博物館行きたいって言ってたところ連れて行けたりとか、誕生日お祝い出来たりとか。どれもすごく喜んでくれて本当に嬉しかった。また来て一緒に愛知の豊田市の方も見て回りたかったよ。本当はね、紹介したい人もできたのにさ、じいちゃんに紹介出来んくて本当に残念だった。会わせたかったな、お互いに。うちの大好きなじいちゃんも、だいちゃんも。コロナでさ、お通夜もお葬式も行けんくて、近くでお別れ出来なくて辛いし悔しいけど、愛知から見守ってるから、天国に行ってしまってもずっとうちのこと見守ってて欲しい。未だにね、全然信じられないの。信じたくないの。帰省したらまたご飯行けるとか思ってる。話せるって。もう会えないなんて本当に思えない。愛知にいて実感がない。最後に会ったのは、2019年のお盆なんだって。そんな会ってなかったんだって思った。今年の4月に珍しく電話くれて、でも仕事で最初出れなくてかけ直して、出てくれて、伊勢海老かな?愛知で有名な美味しい海老を食べたいって言ってくれて。で、うちと話してるのになんかお姉ちゃんの声もするって言われて、最初「あー、うちと話しててもお姉ちゃんのこと思い出すのか~」ってちょっとお姉ちゃんに嫉妬してたんやけど、そういう事じゃなくていつも2人でいたからうちと話すとお姉ちゃんも一緒にいるみたいに聞こえたってことだったみたい。あとからママから聞いてくれて分かった。2回目5月にまた電話くれて1時間半くらい話した。その時は元気になってなっちゃんとまた行きたいところいっぱいあるとよって言ってくれて。ご飯も行きたいしって。あとママには言ってないけど、老人ホーム入ろうと思ってるって話とか。だからさ、まだ全然大丈夫なのかって思っちゃってた。電話切る時もまた電話しますって言ってくれたのに。その電話がじいちゃんの声聞いたの最後だったんだよな。6月にも電話しとけばよかったって本当に思った。自分の誕生日でも何でも。でも、久しぶりに電話してくれて嬉しかったし全然会えてなかったけど2回だけでも今年声聞けてよかった。うちちゃんと毎回じいちゃんにお礼言えてたかな。毎回言っても足りないくらい本当にお世話になったし、大好きだった。というか今でもずっと大好き。じいちゃんがうちらを想ってくれてたようにうちもじいちゃんにはもう少し長生きして欲しかった。急すぎて、辛すぎるし泣いても泣いても全然涙が枯れん。でも、ずっとうじうじ泣いててもじいちゃんが悲しい思いしちゃうよね。だから、強く生きる。今までは遠かったけど今はいつでも近くで見守ってくれてるって思ってる。だから、頑張れる。挫けそうな時とかいろんなことがこれから沢山うちの周りで起きると思う。でも、何事も一つ一つ頑張ってくね。見ててね。お喋りで元気でオシャレでいつも孫の自慢してくれて優しくて少し頑固で誰よりもうちのこと応援してくれて味方でいてくれるじいちゃんが本当に大好きだよ。これからも変わらない。私はずっとじいちゃんっ子です。あっちではゆっくり休んでね。うちは会ったことないけど、ママのママ、おばあちゃんとも仲良くね。今まで本当にありがとう。大好きだよ。